日々の生活に真実がある「武士道」とは
開催日:2011年7月12日(火)
講 師:山梨大学元副学長 黒澤 幸昭様
場 所:関東第一高等学校 視聴覚教室
講演参加者:吉村理事長、渋谷教頭、小寺アドバイザーと奥様、橋爪先生、堀川先生
        桑原 直幸(記)、鈴木専門指導員
        男子バドミントン部6名、男子バスケット部8名、サッカー部5名
        ITCクラブ13名
責任者:桑原直幸

  関東第一高等学校では、山梨大学元副学長 黒澤幸昭様に講演会を行って頂きました。講演内容は『日々の生活に真実がある「武士道」について』です。
  海外から評価されつつも、あまりにも身近で気が付かなかった日本人の美徳と生き方について学ばせて頂きました。「武士道」という言葉は、実社会を生きる私達にとっては異質な人達であると感じていましたが、今このような時代だからこそ、学ぶべき人の生き方の指針ではないかと感銘を受けました。
  高尚なお話を十分に理解できたと思えませんが、一教師として感じたこと、心に染みたお言葉をまとめさせて頂きました。

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講演内容:日々の生活に真実がある「武士道」とは

  始めに「侍ジャパン」について話された。『プロ野球選手』が、日本代表として戦った時に、キャッチフレーズとして使用した事が、切掛けとなり全世界に『武士道』が宣伝された。
  『武士道』の歴史は、とても古いが、武士が中心目標になったのは、江戸時代であった。その当時は、士農工商の身分制度があり、身分に差があった。江戸時代が終わり、明治時代になっても、支配階級が存在していた。その理由は、江戸時代に生きた武士達が、国を作ったからだった。しかし日本人の生き方として定着されていた。

  新渡戸稲造(にとべいなぞう)という日本人が、アメリカに留学しキリスト教を学んで日本に帰って来た。新渡戸は無教会主義の教会を作った。日本人でありながらキリスト教徒になった理由は、武士を尊敬し、武士のあり方を自覚していたからだった。

  宮本武蔵の武士道を教えて頂いた。それは5輪書と、一乗寺下り松の決闘に纏わる事だった。5輪書については、「君子・父子・夫婦・兄弟・友人」きちんとある規範が成立し、理想的な事をしっかり実行する事を教えて頂いた。そして一乗寺下り松の決闘についてでは、決闘前に立寄った神社で「我れ神仏を尊んで、神仏を恃まず(神仏は尊ぶが、頼りはしない):後悔しない生き方を生きる」事の悟を教えて頂いた。

  武士には奉公人と戦闘者の2つの役割があった。戦闘者は、文字の通り戦をする事であり、奉公人は、儒教(朱子学)を中心に武士の生き方を学ぶ「士道心得る」事であった。奉公人は、為政者であり「徳」を持っている人物であったので、日本人の教師にあたっていた。

  「武士道」には、「威儀」と言う言葉もあり、自分の雰囲気に囚われない、そして罵り合うことはしないという意味があった。そして「視聴言動」に慎むことが、非常に重要であった。それは、「感化力(その人を見ただけで偉い人だと分かる力)」を身に付けなくては、直ぐに切られて終わってしまう世の中であった。

  戦闘者の欠陥は、臆病と吟味されることであった。吟味されたら恥であった。君主に恥だと思われたら罪であり、そして家計全体がそう見られていた。

  最後に、儒教の伝統を教えて頂いた。それは、「内外一致」と言う言葉であった。「内がしっかりしていれば外に現れる。外を見れば内もわかる。」と言う意味であった。そして「礼から威」の意味も教えて頂いた。それは、「軽々しい事が無い様にする。だらしない人は軽くみられる。独立的になり、馴れ馴れしくしない。」と言うことであった。

以上